3代目の想い
小学校の同級生は、2/3以上の子どもが木工所や家具資材関係でした。
製材所のノコクズに潜むカブトムシを取りに行ったり、山積みになった木材の上から仮面ライダーごっこで飛び降りたり、木材を運ぶ馬車の上に飛び乗ったり。常に工場が、木材がすぐ近くにある環境で育ちました。だからでしょうか、他の業種への憧れもありましたが、すんなり家業を継ぐことにしました。
18歳で家業に就いた当初は、板材から材料を切り出し、板幅を見ながらあら木取りをし、工場に持ち込み、使う用途に分けるなど、すべての作業を自分たちで行っていました。
当時家具に使用していた材料は、ジョンコンがほとんど。夏場は削りクズが腕などに引っ付きチクチクして、なんとも言えない痛痒さでした。今ではもう手に入らないジョンコンから積層、パーチクルボードなどに材料が変わっていき、今に至ります。
婚礼家具の納品は
トラックのバックが禁止でした
その当時、叔父が福岡市内で婚礼たんすの販売をしており、配達の手伝いも経験しました。
新居に一番最初に収めるのは鏡(ドレッサー)。鏡は神道において御神体を象徴するものだからでしょう。新居に神様をお迎えし、家庭円満・無病息災を願ったという習わしのようです。
また、婚礼家具でいっぱいのトラックは、離婚を思い浮かべるためか、バック禁止という独自のルールがありました。このようなゲン担ぎも多く、タンスを運んだ私もご祝儀をいただいたこともありましたね。
家具の知識を得たのは
家具雑誌「室内」から
高校卒業後、そのまま家業に就いたため、家具に関する知識がほぼありませんでした。小さい頃から本を読むことが好きだった私は、家具関係の雑誌を読み漁りました。特に好きだったのが、山本夏彦氏の「室内」。休刊になるまで愛読していました。今をときめく隈研吾氏など一流デザイナーも載っていたし、安部譲二氏の体験記「府中木工場の面々」も面白かったですね。
最も印象に残っているのが、「家具を壊してみる」という企画です。一流ブランドの家具をバラバラに分解し、解説していく企画ですが、これで図面の見方などの知識を得ました。当時はこれと言って役に立つことはありませんでしたが、10年ほど前から建築物件の別注に携わるようになった際、平面図から立体の図面への紐付けしながらの解釈ができ、この時に初めて役に立ったとしみじみ思いました。
従兄弟の工場で見た木工用機械を
きっかけに自社のあり方を見つめ直す
ひと回り上のいとこも木工所を営んでおり、そこにはみたこともない機械が揃っていました。その様子と自分の現状を比較し、ショックを受けた私は、「なんとしてでも機械化をしなければ、将来がない!」と10代ながらに誓いました。
20代前半でサイザー機を購入しました。その後、機械を徐々に増やしていくために、それはもう一生懸命に働きました。
最新の機械はパソコンでデータ化されており、職人の持つ感覚だけでは作れなくなってしまいました。弊社の従業員のスキルはとても高く、飲み込みの速さは驚くほど。図面を見ながら「このままの数字では作れないのでは?」と逆に指摘されることも。
今後は、職人の優秀な腕と機械の性能を融合するという弊社の強みを活かしながら、皆様のお役に立つ家具を製作していきたいですね。